レパートリーのほとんどを生まれ故郷沖縄県宮古島の方言(ミャークフツ)で歌う唯一無二のアーティスト。日本語でありながら共通語とは全く異なる響きを持ったミャークフツにより、言葉と音のインパクトを伝える下地勇の音楽はジャンルレスでボーダーレス。簡単に国境を越え、聴く者に衝撃を与える。
沖縄県立宮古高校を卒業し18歳で上京。音楽とは無縁の7年間の東京生活を終え、25歳で沖縄本島に戻る。本島でサラリーマンをしながら、28歳のとき宮古民謡保存会に入会したのをきっかけに、仕事の傍ら音楽活動を始めるようになる。
宮古方言でオリジナル曲を作り始めたのは30歳のとき。父親の還暦祝いに録音テープを贈ったところ、父母の友人をはじめ、島を離れて住む宮古出身者たちの間で話題になり、あっという間に口コミで広まる。
2002年8月にインディーズにてシングルCD「我達が生まり島」をリリース、3ヶ月で7,000枚のセールスを記録。同年12月に発売したアルバム『天~tin~』は10,000枚以上のセールスを記録し、その噂は海を越えて本土にまで達した。そして2005年アルバム『開拓者』でテイチクエンタテインメントよりメジャー・デビュー。
これまでに7枚のオリジナル・宮古方言アルバム、1枚の共通語アルバム、1枚のライブDVDなどを精力的にリリース。さらにはBEGINのギタリスト島袋優とのユニット「シモブクレコード」名義や、八重山民謡の唄者新良幸人とのユニット「SAKISHIMA meeting」名義でのリリースなども実現した。この間にライブの活動範囲も急速に広がり、全国各地でライブを展開。近年では日本国内にとどまらず韓国、台湾、メキシコ、ジャマイカ、キューバでもコンサートを行い、各地で大絶賛を浴びた。更に韓国、台湾ではアルバムのリリースも実現。特に韓国ではアルバム『3%』が音楽専門誌の選定するベスト・アルバム賞を獲得。沖縄・宮古島出身のアーティストという枠を越え、現在はオンリー・ワンのシンガーソングライターとして世界に羽ばたこうとしている。
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