1947年にキャンヴェイ・アイランドで生まれたウィルコ・ジョンソンは、ニューカッスル大学で英文学を専攻。教師になる夢を抱いていたが、やがてロックンロールに目覚める。エセックス州サウスエンドの楽器店でフェンダー・テレキャスターを買ったことをきっかけに彼は音楽にのめり込み、ドクター・フィールグッドではヴォーカルのリー・ブリローのバックでしかめ面を浮かべながら猛烈なリズム・ギターを演奏。
’70年代中期、彼がイギリスの無数のステージでダック・ウォークを披露していたころ、フィールグッドはパブ・ロック・ムーヴメントの代表格として活躍中だった。
その元気一杯の気取らないロックンロールは、仰々しいプログレッシヴ・ロックに対する爽やかな解毒剤となっていた。ウィルコの演奏は、当時のパブ・ロック・バンドだけでなく、その後のパンク・ロック・バンドにも影響を与えた(たとえばザ・クラッシュのジョー・ストラマーは、ウィルコのステージを観てテレキャスターを買い込んでいる)。
ドクター・フィールグッドで4枚のヒット・アルバムを作り上げたあと、ウィルコはバンドを脱退。その後はウィルコ・ジョンソン・バンドやソリッド・センダーズで活動したあと、1980年にはイアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズに加入している。
’80年代~’90年代~2000年代を通して、彼はイギリス、ヨーロッパ、日本でライヴ活動を続けた。また数々の賞を受賞したジュリアン・テンプルのドキュメンタリー映画『Oil City Confidential』(2009年)をきっかけに、ウィルコの非凡な才能は改めて脚光を集めることになった。
そして2010年にはまたもや転機が訪れる。
大人気のテレビドラマ・シリーズ『Game of Thrones』への出演を依頼されたのである。
ここで彼は口のきけない死刑執行人イリーン・ペインを演じ、2011~2012年に放送された4つのエピソードに登場した。
2014年にはロジャー・ダルトリーとの共演アルバム『Going Back Home』が大ヒットとなり、全英アルバム・チャートでは最高3位を記録。
このアルバムが制作された理由のひとつは、ふたりがジョニー・キッド&ザ・パイレーツのファンだったことにあった。しかし理由はそれだけではない。
この時点ではウィルコの余命があとわずかだと思われていたため、ふたりは「やるなら急いでやらなければ」と考えたのである。
2015年、ウィルコとジュリアン・テンプルは再び手を組み、ドキュメンタリー『The Ecstasy Of Wilko Johnson』を制作する。これは、末期癌と診断されたウィルコが予想外の回復を遂げるまでの経過を記録した作品だった。この映画はかなりのヒット作となり、映画館での上映やBBCチャンネル4での放映でたくさんの観客を魅了した。2016年には「Kermode」賞も受賞している。
また同じ2016年の春には、ウィルコの新たな回想録『Don’t You Leave Me Here』もリトル・ブラウン社から刊行された。
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