アメリカ、マサチューセッツ州ケープコッド生まれ。
ジャズピアニストの父と芸術家であった母との間に生まれる。
そんな両親から、幼児の頃より、音楽に対する愛着と敬意を植えつけられてきた。その後、4歳の時、ケープコッド音楽学校で、父のピアノ伴奏で「星に願いを」とピノキオの「もう糸はいらない」を初めて人前で歌うことになる。7歳の時に、両親の離婚に伴い、彼女は、母とともにユタ州カナブという砂漠地帯の小さな町に移住。スウィートと母は、シンガーとして大きく花開くことを夢み、種をまき始める。定期的にヴォーカル・コーチのレッスンを受けるとともに州の催しや郡のフェスティバル、地域の劇場で歌い始める。聴きに来る聴衆の数が増えるにつれて、スウィートの夢は大きく膨らみ、スウィートと母は、ユタの家を人に貸し、2年間に渡る公演の旅に出る。カナブ、ラスベガス、ロサンジェルスの間を行き来しながら、あらゆる公演の機会を捉えて歌い、ついに弱冠14歳で、ケニー・ロギンスのラスベガス公演の前座を勤めた。さらに母が、ロサンジェルス・レイカーズにスウィートの歌を送ったところ、球団からアメリカ国家独唱のオファーを受けた。その勢いで次々と評判が評判を呼び、2004年7月にグラミー賞にノミネートされたプロデューサー兼アレンジャー兼ソングライターのマーク・ポートマン(セリーヌ・ディオン、ジョシュ・グローバン、のプロデューサー)と知り合うことになる。この出逢いが、スィートにとって運命的な出逢いになる。
すぐにマークとともにレコーディングをスタートし、その中にはエアロスミスの“ドリームオン”、映画「グラディエーター」から“Now We Are Free” というサンスクリッド後のテーマ曲、陽気で官能的な“raincoat”、心地よく物憂げな“Crush”(この楽曲は、自分自身と彼女がデュェットし、恋に変わりつつある密やかな想いについて、自問自答しながら歌っている。)と次々と曲を仕上げ、このデビューアルバムの完成にいたった。その評判は、大物アーティスト達にも、届けられ、ポール・サイモンの前座や全米で人気のスムースジャズのサックス奏者デイヴ・コーズなどと共演する機会を得たケリーは、全米のメディアでも着実に受け入れられており、BillBoard誌やR&R誌などでもニューカマーアーティストとして大きく取り上げられ、デビューを迎えた。
デイヴ・コーズとともに全米26カ所でのツアーや、フィリップ・ベイリーとの共演も果たす。
2012年8月、待望の2ndアルバム『ASHES OF MY PARADISE』を日本先行でリリース。
iTunesヴォーカル・チャートにて1位を獲得、リード・トラックの「MY AMAZING GRACE」が各地ラジオパワープレイを獲得するなど、
さらに洗練された彼女の歌声は、今もなおリスナーの心を掴み続けている。
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