高校時代にウィルとアップルが「トライバル・ネイション」というダンス+ラップ・チームを結成。後に名前を「ATBAN Klann(A Tribe Beyond A Nation)」と変え、1992年にドクター・ドレー、アイス・キューブが在籍していた伝説のヒップホップ・グループN.W.A.のイージー・Eが経営するメジャー・レーベル"ルースレス"と契約。
しかしプログラミングと生バンドの混合サウンドでレコーディングされたアルバムは結果的に時期尚早という判断でお蔵入り、イージー・Eの死とともに契約そのものも失ってしまう。
しかしウィルとアップルは、タブーをメンバーに迎え、「ブラック・アイド・ピーズ」と名も新たに再起を賭けて再スタート。
ロスを中心に生バンドを率いてのライヴ活動を積極的に展開。その強力なダンスと毎回違ったスタイルで行う個性的なパフォーマンスがメジャー・レコード会社間で契約争奪戦が起こるホドの評判を呼び、その結果インタースコープが契約権利を獲得した。
1997年6月ファースト・アルバム『ビハインド・ザ・フロント』をリリース。続くセカンド・アルバム『ブリッジング・ザ・ギャップ』を2000年発表。そのアルバムからはメイシー・グレイをフィーチャーした「リクエスト・ライン」などのヒット曲が生まれる。積極的なツアーとともに"スモーキング・グルーヴ"、"ワープト・ツアー"、"ビッグ・デイ・アウト"といった大きなロック・フェスティヴァルへの参加が続き、人種を越えたファンを獲得、ヒップホップ界では唯一無二のユニークな存在となる。
グループの活動と平行しウィルのソロ・プロジェクトも始動と充実した時間を経て、03年『エレファンク』を完成。紅一点のヴォーカリスト=ファーギーも新メンバーとして加わり、よりカラフルになったそのサード・アルバムからはラヴ&ピースなヒップホップ・アンセムとなった「ホエア・イズ・ザ・ラヴ」をはじめ、「シャット・アップ」、「ヘイ・ママ」、「レッツ・ゲット・リターディッド」といった4曲のヒット曲が誕生。リリース後は、ジャスティン・ティンバーレイク、クリスティーナ・ミリアンのダブル・ヘッドライナーのオープニング・アクトとしてヨーロッパをくまなくツアー、その人気はアイドル級となる。
その後もアメリカ、ヨーロッパと自身のヘッド・ライナー・ツアーを続け、2004年には日本にも2度にわたる来日公演(2月単独公演。7月ロック・オデッセイ)を行い、その知名度を確立した。約2年というインターバルで登場した4作目は『モンキー・ビジネス』とタイトルされた。このアルバムはUSだけで400万枚以上、全世界では1000万枚以上という驚異的なセールスを記録。このアルバムからは2曲のシングル「ドント・ファンク・ウィズ・マイ・ハート」と「マイ・ハンプス」がそれぞれビルボード・チャートにて最高位3位を記録した。
2006年7月には日本武道館と大阪城ホールにて日本ツアーを行い、いずれもソールド・アウト。
さらに1年後の2007年にはサマー・ソニックにてヘッドライナーを飾るなど日本でも着実にスケールアップを果たす。そして、前作から実に4年近くもの歳月を経て完成したニュー・アルバム『The E.N.D.』では、エレクトロの要素をサウンド/ビジュアルの両面で大胆に取り入れ、ヴァージョン・アップしたブラック・アイド・ピーズの姿に。時代をうまく取り入れながら、あくまで"BEPスタイル"を貫いた最新作は熱狂をもって迎え入れられ、1stシングル「ブン・ブン・パウ」はBEP史上初となるビルボード・チャート1位を記録。その後、2ndシングル「アイ・ガッタ・フィーリング」も続けざまに1位となり、現在までに20週連続1位を記録中。同一アーティストによる連続1位占有"記録でアッシャーの19週連続(04年)を抜いて、新記録を達成。9月からはその記録を引き下げ、最新作に伴うツアーをここ日本からスタートする。
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