《触発される音楽たち》シリーズ 特別篇。
世界に目を凝らす、裁判シリーズのvol'1。
全く、嫌なシリーズだね、どうも。
ジョージ・ハリスン氏は
「ポップ・ミュージックの99%は、何か別の音楽を想起させる」
と、言ってます。……じゃあ、無罪 ! ⤴︎
①② 『ジャングルを越えて』(70年) & 『オールド・マン・ダウン・ザ・ロード』(85年)
67年から72年まで、CCRを率いたジョン・フォガティ。
独立時に、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル用の曲を、レコード会社に譲渡したが、
この『オールド・マン・ダウン・ザ・ロード』発表後、ファンタジー・レコードの《オーナー》ソウル・ゼインツから、CCR時代の『ジャングルを越えて』と似ている と、訴えられてしまった。
「なんでやねん!俺が作ってんだから 似るのはあたり前田のクラッカー!サザンの桑田なんか、みんな一緒やん。」
と言ったとか (嘘)
結局、フォガティ勝利。ま、当然。
③④ 『マイ・スウィート・ロード』(70年) & 『いかした彼』(71年)
ジョージ・ハリスンの『マイ・スウィート・ロード』は、ジョージ渾身の3枚組LP『オール・シングス・マスト・パス』の中の1曲。シングル・カットもされ、イギリスでは1971年の年間1位。アメリカでもミリオン・セラー。日本でも20万枚も売れた大ヒット曲です。
何故これが盗作問題になったかというと
1 ) ... 71年にジョディ・ミラーが、63年のシフォンズの大ヒット曲『いかした彼』をカントリーソングでカバー
2 ) ...それが『マイ・スウィート~』に似てると指摘あり
3 ) ...じゃあ、『マイ・スウィート~』は、シフォンズの『いかした彼』の盗作だべ…
と、なりました。
1976年、訴訟問題に発展。原告は《楽曲を管理》するブライト・チューンズ社。
判決は《潜在意識の内における盗作》を認めたハリスンに、約60万ドルの支払いを命じた。
ジョージ・ハリスン氏は、
「しばらくの間、誰かの歌と同じようなメロディが出来たらどうしょう...と考えてギターやピアノを触れなかった」
と語ってます。
……天下のビートルズ《大先生》相手に、なんて事するんだ!失礼だよな!
⑤⑥ 『ビター・スウィート・シンフォニー』(97年) & 『ラスト・タイム』(66年)
元は、ローリング・ストーンズ 1965年『アウト・オブ・アワ・ヘッド』からのシングル・カット『ラスト・タイム』。
それをストーンズの初代マネージャーにしてプロデューサー、アンドリュー・ルーグ・オールダムが
66年の企画アルバム、
アンドリュー・オールダム・オーケストラ名義の『ローリング・ストーンズ・ソングブック』で『ラスト・タイム』を、テンポを落としシンフォニックにカバーした。
時は流れ1997年、イギリスのバンド「ザ・ヴァーヴ」が、オールダムのヴァージョンを許可を得てサンプリング。
ところが、カバー・ヴァージョンの許可を得たけど、オリジナルの著作権の許可を得てなかった為、
ローリング・ストーンズの初期の頃の楽曲著作権所有者《デッカ・レコード》のアラン・クレインが
「協定の範囲を越えて、使用している」と難癖。
結局、ヴァーヴはこの曲の著作権を放棄させられ、作者クレジットも変更させられた。
ヴァーヴの作曲者のリチャード・アシュクロフトが著作権をクレイン側に譲渡した時の金額は1000$のみだったそうです。
⑦⑧ 『エニバディ・シーン・マイ・ベイビー?』(97年) & 『コンスタント・クレヴィング』(92年)
ローリング・ストーンズの『エニバディ・シーン・マイ・ベイビー』は、97年のスタジオ・アルバム『ブリッジズ・トゥ・バビロン』からシングル。
この曲が、Kbラングの『コンスタント・クレヴィング』に似てると指摘されたローリング・ストーンズ サイドは
《機を見るに敏》
早速 Kbラング サイドと交渉。訴訟を起こされる前に、Kbラングと共同作曲者のベン・ミンクをクレジット表記。
《悪童》の割には、リスクマネジメントに長けてるじゃマイカ。
しかし、《潜在意識の内における盗作》なんて言われちゃあ…ねぇ。……
思った曲も作れない こんな世の中じゃ POISON ですよ 😞
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