AWA
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プロレスという括りがなければ、まさにごった煮! ①《ドクター・デス》スティーブ・ウィリアムス( 全日本プロレス )…… テリー・ゴディとの《殺人魚雷》コンビで売ったが、初来日は新日本プロレス。 猪木に危険な技を仕掛けて、嫌われてしまったのが全日移籍のメインな理由か... 2009年に49歳で喉頭癌で死亡... ②《英国の閃光》スティーブ・ケーシー( 新日本プロレス )…… このテーマ曲は、映画『摩天楼はバラ色に』の主題歌。絶頂期のマイケル・J・フォックスが堪能出来る80年代的名作だぜ! 《怪僧ラスプーチン》ワイルド・アンガスの息子で、87年~88年頃 新日本プロレスに数回 来日。 印象はほとんどないが、日本に来れて 良かったね。 ③《ミスター・パーフェクト》カート・ヘニング(全日本プロレス)…… ハーリー・レイスと組んでAWA世界タッグ王座になった事がある名レスラー ラリー・ヘニングの息子。 時代が時代なら、全日プロレスで、三沢光晴のライバルになっていたのでは… WWEで、大スターになった後、 2003年に、44歳でコカイン中毒で死亡…… ④《密林男》グレート・アントニオ(新日本プロレス)…… 1961年、グレート東郷のブッキングで、力道山 時代の日本プロレス《第3回ワールド・リーグ戦》に参加。 その《密林》のビジュアル、バスを引っ張るギミックと日本中の話題に...。 また、その時に調子に乗った所を、同じシリーズに来日していた《シューター》ビル・ミラーと、カール・ゴッチにボコられる...と、いう伝説を生んだ。 時は流れ、1977年10月に新日本プロレス「闘魂シリーズ」に来日して、1961年同様バスを引っ張り、蔵前国技館で、猪木にボコられる《天丼》をやってみせた。 悲劇の人だね… ⑤《妖鬼二世》グレッグ《ザ・ハンマー》バレンタイン(新日本プロレス)…… ジム・クロケットのミッド・アトランティック地区で、リック・フレアーとのタッグで売り出していたから、何時 全日本プロレスに参加するかと思ってだけど、とうとう来日しなかった…残念。 新日本プロレスより、全日本プロレス向きだと思った。 日本では、イマイチ売れなかったが、全米侵攻を進めたWWWFでスターに。 《ザ・ハンマー》もその時のニックネーム。 ⑥クロニック ( 《新日 練習生》ブライアン・アダムス & 《ナイトストーカー》ブライアン・クラーク ) (全日本プロレス)…… ブライアン・アダムスは、横田基地配属の兵隊から、新日本プロレス練習生を経て、 WWFで《第3のデモリッション》クラッシュ・デモリッションに変身。 新日本 復帰時、蝶野正洋やグレート・ムタと共に、nWo-JAPANとして暴れ回る! ⑦ファビュラス・フリーバーズ ( テリー・ゴディ & マイケル・ヘイズ ) (全日本プロレス) 《ハリウッド・ブロンドス》バディ・ロバーツをマネージャーに、 ビル・ワットのオクラホマ地区、ジム・バーネットのジョージア地区、ダラスのエリック・ランドで暴れ回った。 全日本プロレスの馬場さんも、テリー《バンバン》ゴディを気に入り、《ポスト》スタン・ハンセンに考えていた。 早々、マイケル・ヘイズと別れさせ、ハンセンやスティーブ・ウィリアムスとのコンビに改良したが、 生活の乱れはどうにもならず、1994年に《素行不良》で、全日本プロレスから解雇... 2001年 酒とステロイドで、40歳で心不全で死去... ⑧《テキサスの荒馬兄弟》ザ・ファンクス ( ドリー・ファンク JR & テリー・ファンク )(全日本プロレス)…… 全日本プロレスを支えた大スター・レスラー。 新日本プロレスがいかにギミックを駆使して、仕掛けをしても、ファンクスがいるから持ったと言える《全日本プロレスの守り神》。 後に、テリー・ファンクの自伝で、ジャイアント馬場があまり良く書かれてない事にショック😱 まぁ、ビジネスの切れ目が 縁の切れ目 と、言う事だね。
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