アメリカに進出したビートルズは、このような音楽が社会運動と結びついている状況に驚いた。イギリスでも学生運動はあったが、アメリカほど激しくはなかったし、パワフルでもなかった。ジョン・レノンにいたっては、ディランと面会したときに、「君達の音楽には主張がない」とまで言われてしまっている。
以降ビートルズは、音楽的な変化と同時に、詞の内容にも思想的なものが増えていき、その活動内容にも社会運動的なものが増えていくのである。
その一方でボブ・ディランもまたビートルズの影響により、それまでアコースティック・ギターだったものをエレキ・ギターに持ち替え、1965年に発表したアルバム「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」はロックサウンドを取り入れたものとなり賛否両論を巻き起こした。
そして、アルバム発表の同年に開かれたニューポート・フォ―ク・フェスティヴァルにおいてディランが大掛かりな機材を持ち込み、大音響でエレキ・ギターを鳴らすや、頑固なフォーク・ファン達からブーイングの嵐が巻き起こるという事件まで発生。ディランは仕方なくステージを降りたのだが、関係者に説得され一人だけで再びステージに戻り、アコースティック一本で「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ」(すべておしまい)という曲を演奏した。これは今や伝説である。
しかしながらこのディランのアルバム「ブリンギン~」は全米6位、全英1位に輝きディランのそれまでのどのアルバムよりも売れたのであった。このアルバム以降ディランは歌詞の中に社会問題をテーマに取り上げているような曲は身をひそめていき、その活動スタイルも徐々に社会運動的なものから離れていく。
といっても、60年代の前半はビートルズを筆頭としたイギリス勢がアメリカにロックの逆輸入をしたのを皮切りに米英双方の若いミュ―ジシャン達がお互いに刺激し合い、音楽的な面で大きく変化していったのと同時に、ロックン・ロールが若者たちの間で社会運動のシンボルとして支持されるようになりはじめた時期であったことは間違いない。
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