<エピソード>
ショパンが持病の肺結核の静養のため、スキャンダラスな恋仲にあったジョルジュ・サンドと地中海に浮かぶ島マヨルカ島へ逃避行したときのこと。病をこじらせて死の淵をさまようほど悪化した。
ある日、サンドは看病していたショパンを修道院に残して買い物へ行き、嵐のため帰りが夜中になった。彼女が帰ると、ショパンは不安に苛まれながら作曲したばかりの曲を弾いてた。その曲こそが「雨だれ」だった。
サンドの回想録に「この夜の彼の作品は、マヨルカ島のヴァルテモ―ザ修道院の瓦の上で反響する雨のしずくに満ちていたが、そのしずくは、彼の想像と音楽のなかでは、彼の心に天から落ちる涙となっていた」と書かれていた。
<曲の特徴>
ショパンの《前奏曲》は、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》(24ある全ての調性が使われた音楽史上初の作品)にヒントを得たもの。
「雨だれ」はA・B・Aという3つの部分から成る。Aの部分は変ニ長調で優美。Bの部分は嬰ハ短調で厳しい現実を表現。全く雰囲気の異なるAとBだが、雨音のように鳴り響く同音の連打音が曲を貫く。
#1は、個性豊かな往年の巨匠たち。
7.バルセロナに生まれ、地元でグラナドスの愛弟子であるフランク・マーシャルに師事
8.ベートーヴェン→ツェルニー→リスト→ジロティ、ショパン→マティアス→フィリップと続く、演奏伝統を受け継いだ優れたピアニスト。シゲティの伴奏者を務め、その娘婿となった。1949年に畏友リパッティが病に倒れると、その後任教授として1960年までジュネーヴ音楽院に勤め、マリア・ティーポやライオネル・ログらを育成。友人にはラヴェルやプロコフィエフがいる。
感傷性や過剰な演出を排した端正な表現や、作品のテクスチュアを明晰に炙り出した、優雅で折り目正しい洗練された趣味のよさが特徴。晩年になるにつれて情熱と生命力が漲るようになったものの、生涯を通じて、高潔な表現と自然な情感、ゆっくりとしたテンポ設定、作品と作曲者に奉仕しようとする姿勢は保たれていた。自分の演奏について「叩くのではなく音をすくい上げる」と特徴づけた発言も有名。
マガロフの演奏は、ショパン全曲録音の世界初の試みとしても歴史的意義をもつ。
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