未だ、これから。一人の女、いや男か。いつのことかはもう分からない。それはすでに朧のように形を成さず湯気のように軽くなっていた。それは人としての生を終える前に大いなる悟りを得ていたので、朧になりながらも世界を見ていた。自分と同じく多くの人が朧となり湯気となり消えてゆく。そこでは大きな災厄があったのだ。街という街が地に呑み込まれた。と言っても皆には災厄が来るのは知らされていたので、その土地に残った者はある意味、覚者といえるかもしれない。とにかく、見た。多くの人が朧となり湯気の流れのように絡めとられ消えてゆく。音も無く。ところがその中に人の形を失いながら、そこに留まろうとしているものが見える。色などありはしないのに赤く見える。音も無いのにちりちりぱちぱちと呟きがきこえる。「なぜ?」、「どうして?」、という言葉が近くによればきこえただろう。多くの者が地の底に呑み込まれ、すり潰された。その力に抗うことも出来ず、多くが消えてゆく中、生の意味を人の形を失いながら問う声がある。もはや、それは人ではない。その朧らは自らを問う言葉により、形を得て様々な鬼となった。その姿を見て、大いなる悟りを得た者はその悟りを捨てて、地に降りて自分が見た世界の成り立ちを鬼らに伝えたくなった。なぜ?、どうして?、と問うことは執着である。そこから問うことで何かが満たされることは無い。しかし、伝えるということも執着である。故に悟りを捨ててて、人に戻りながら心に鬼を宿し、鬼を探し求めながらさ迷ううちに、ある鬼は朧に戻り湯気と消え。ある鬼は悟りを得て大いなる安心を得た。しかし、ある鬼は求めることを止められず、生きている者達を迷わせ、狂わせていった。そこで、悟りを捨てた者は、その鬼の執着を消すためにその身を抱えて地の底へと降りては、その地の底を濁流と化して溶かしては次の底へと落ち、さらにその次の底へと落ちてゆき鬼が執着を捨てるまで濁流の渦へと降りて、未だこれからも戻らなかった。
…もっと見る