街中は《ゾンビ》が溢れているしん……
まあまあ 真面目に《ゾンビ》の倒し方を書いた本があるし
広瀬アリスちゃんや 乃木坂46 、中条あやみちゃん も
《ゾンビ》と戦っているし、
《天下の国営放送》も《ゾンビ》もんを放送する始末だしん。
なんて世の中だ……《ゾンビ》が現れたら、この世の終わりだしん。
わわわわー、こっからは ちゃんと解説するしんよぉ~
٩( •̀ω•́ )ﻭ
1968年10月1日、ピッツバーグのフルトン・シアターで『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』のプレミアが行われました。
リチャード・マシスンの小説『地球最後の男』を下敷きにしたこの映画は
資金調達に苦労をし、モノクロ35ミリフィルム、友人やボランティアを募って 製作費11万4000$ で完成しました。
劇場での配給公開は、メジャースタジオはダメ ⤵
《SF・ホラー》でお馴染みのロジャー・コーマンの AIP ( アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ ) も
ラストの変更を求め、ロメロ監督が拒否した事でダメ ⤵
結局、アート系映画中心に配給していた コンチネンタル・ピクチャーズ により、
1968年10月2日から 12の映画館とドライブイン・シアター で公開されました。
映画は大変な評判を呼び、満員のお客で溢れかえりました。
内容が衝撃的だったからです。
肉親が 友人が 死んでから蘇り、襲ってきて人肉を貪るのです 😱
つまり、人喰いゾンビは1968年生まれで、福山雅治の同級生だったのです!
1968年以前、ゾンビと言えば
ヴードゥー教の呪術によって操られる《死者》もしくは《仮死状態にされた人》
の事で、
呪術師の命令で 働いたり、悪さするのが特徴でした。
その頃のゾンビは なんも 食わない……はず。
ところが『ナイト・オブ・ザ~』は
喰らう 喰らう……問答無用!
「ねぇねぇ、岡村~。なんで蘇った死者が 人を喰らうのか知ってるぅ~」
「う~ん、お腹がすいてるから?チコちゃん」
「ぼーっと 生きてんじゃねぇよ!」
😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱
「『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』でゾンビが人を食べるのは…………
出資者の一人が、食肉関係の仕事をしていて、お肉を無料でもらえたから~ ~ 」
だそうです。
……事実は小説よりも奇なり…ですね😁
ロメロ監督のゾンビもんは、社会風刺や政治的な含みがある…と言われますが
この『ナイト・オブ・ザ~』に関しては
「とにかく怖がらせよう」
「衝撃的なインパクトを観客に与えよう」
と考えていただけで、当時の批評家が 勝手に深読みをして
逆にロメロ自身が、
「娯楽映画の中に、社会風刺を入れる事が出来るんだ…」
と、気付いたくらいでした。
その後 ロメロは、ホラー映画にとらわれない映画作りをしていましたが、成功には程遠い状態でした。
1974年、ロメロは 不動産業の友人とショッピングモールの裏側まで見学した時に、
新たなインスピレーションを感じ、物語の構想を練り始めました。
1977年、ロメロにとって 願ってもない《助っ人》が現れます。
自作『サスペリア』のプロモーションでアメリカにやって来た
《イタリアン・ホラー・マエストロ》ダリオ・アルジェントです。
アルジェントは『ナイト・オブ・ザ~』のファンで、
非・英語圏での興行権と引き換えに、続編の制作に加わる事になりました。
アルジェントの招待で来たローマで、
4週間かけて造られた脚本は 前作を遥かに凌ぐスケールの作品になりました。
撮影は1977年11月から開始され、翌 78年2月に終了します。
地元ピッツバーグで撮影した事で
ジモティーの協力を得て、ゾンビ・エキストラは募集の告知が出ると希望者は殺到し
本物の州兵や地元自警団も協力し、軍曹品を持ち出して撮影に来てくれました。
映画の中の ゾンビを淘汰する州兵は本物なのです。
また、ショッピングモールに突入する《バイカー軍団》も モノホンのバイカー・グループ!
『ゾンビ』の成功で重要なのは《特殊メイク・アーティスト》トム・サヴィーニ率いる特殊メイク・スタッフ達です。
1日に 200~300人のエキストラにメイクをし、
キャラの濃いゾンビには傷跡のアプライエンスなどで装飾し、人目を引く姿にしました。
トム・サヴィーニは大学生の頃『ナイト・オブ・ザ~』に参加する予定だったけど、
徴兵されベトナム戦争の従軍カメラマンになりました。
その時の戦場の惨劇、悲惨な前線の光景は
特殊メイク希望のトム・サヴィーニ に強烈な影響を与え、
映画での凄まじい人体破壊描写につながっていきます。
『ゾンビ』には、いくつかのバージョン違いが存在します。
まず カンヌ映画祭のプレミア上映に合わせて 急いで編集した 139分 のバージョン。
世間では《ディレクターズ・カット版》と呼ばれるものです。
ディレクターズカットと呼ばれてますが、ロメロは突貫編集した Ver. なので、納得してません。
本当の意味で、ディレクターズ・カット版 と呼べるのは《アメリカ劇場公開版》と言われる 127分版です。
日本 他、アメリカ以外の地域はダリオ・アルジェントによる再編集版で 概ね 119分版。
( 日本版は 映倫の検閲が入り、自分の記憶では残酷なシーンが《グリーン・フィルター》がかかりソフトに
また、映画『メテオ』から流用した 惑星の爆破シーンを入れ、
これにより死者が蘇った…との説明が入りました。
115分版 です )
この Ver. の最大の特徴は、全編に流れる ゴブリン による音楽です。
ダリオ・アルジェントは
『サスペリア 2』(75年)
『サスペリア』(77年) で組んだプログレッシヴ・ロック・バンド「ゴブリン」にサウンドトラックを依頼
しかし、ロメロは自身の編集Ver.『アメリカ劇場公開版』では
ゴブリン を3曲のみに留め、
残りの劇伴を《デ・ウルフ・サウンドトラック・コレクション》から引っ張ってきました。
《デ・ウルフ・サウンドトラック・コレクション》は、
「怖いシーン」とか「悲しいシーン」などで 使われる、
それらしい素材音楽を扱っている会社で、
いわゆる《お手軽音楽素材》提供する業務を行ってます。
ロメロは『ゾンビ』のワークプリント版で、仮音楽として 使用してました。
ロメロは ゴブリンの音楽を受け取ると、
自分のイメージと違う《プログレッシヴ・ロック》に驚いたとの事。
ロメロ監督の消費社会に対する批判と、
製作のアルジェントのサバイバル・アクションとしての側面と、
双方の強調するポイントの違いが 音楽に表れ、面白いですね。
デ・ウルフ のサウンドは、
ここAWA では、DOMINIK HOUSER の『 The Gonk 』としてカバー曲が入ってます。
日本では『ゾンビ』は、ダリオ・アルジェント監督作として紹介されました。
ジョージ・A・ロメロ は、共同監督として ちっちゃく記載されてました。
ダリオ・アルジェントの名前は 当時 旬な映画監督でしたから😅
Wikipedia によると『ゾンビ』は、製作費 65万$
興行収入は 5500万$ だそうです。
大ヒットですね。
その後、『ゾンビ』影響を受けた作品が巷に溢れかえります。
ロメロも
1985年に『死霊のえじき』
2005年に『ランド・オブ・ザ・デッド』
2007年に『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』
2009年に『サバイバル・オブ・ザ・デッド』
を撮ります。
それぞれに《旬な社会問題》を投影し、
面白い娯楽作品になってます。
ロメロが発明した《人間を喰うゾンビ》は、
もし…肉親がゾンビになったら殺せるか?……という 答えの出ないテーマを内包し続け、
あらゆるクリエイターを刺激し続けます。
また、近年の『カメラを止めるな』のように、
低予算で成功を掴める映画素材として、
今も 新鋭映画人達が 工夫を凝らしてます。
1968年 に起きた《New Wave Zombie》は、
20世紀《映画界》最大の発明である故、
発明者であるにも関わらず
その恩恵を得る事のなかった ジョージ・A・ロメロ 監督の功績を 忘れてはいけない…と思います。
ジョージ・A・ロメロ 監督は、2017年7月16日 に77歳で お亡くなりになりました。
奥様の話によると、未発表脚本が 50作ちかく あるそうです。
ジョージ・A・ロメロ の魂は死なず……と 私は思います。
選曲
①②④⑥『ゾンビ』
⑦『ランド・オブ・ザ・デッド』
③⑤『ゾンビ』のリミックスもの みたいね。映画のセリフが入っているのと、ジャケットがいいので エントリー。
⑧『地獄の門』(80年)……
『ゾンビ』のエピゴーネンとしては最高作『サンゲリア』(79年) を撮ったルチオ・フルチ監督の 不条理ゴースト・ホラー映画。
ホントは『サンゲリア』の音楽を入れたいけど、無いので 音楽監督のファビオ・フリッツが 使い回した 同じテイストの『地獄の門』の曲をエントリー。
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