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説明文

今から何十年も前にできあがったロックの一つのカタチ。一つの様式美です。HR/HM。 たとえば青信号点灯の約2分間に3000人が横断する渋谷スクランブル交差点にブレーキが壊れた暴走車が突っ込んでくる。複数が捲き込まれ死者数人に重軽傷を含む負傷者が数十人に及ぶ事故。現場は騒然となるが多くの難を免れた幸運な通行人のうちある者はこの異常な事態を気にしつつも現場を素通りしある者は立ち止まり現場の一部始終を見届けそして多くの者がスマホを取り出し現場の状況を撮影しこの事件は瞬く間にネット上で拡散される。ところが不思議なことにテレビも新聞もこの事件を一切報道しない。当然現場に居合わせた者以外この事件を直接知る者はおらずほとんどの国民がこの日渋谷スクランブル交差点で起きた深刻な出来事を知ることはない─。 新型コロナ用に開発製造された(ということになっている)mRNAワクチンとはこのブレーキの壊れた暴走車のようなものです。その背景には2003年にやはり中国でSARSが発生した時に遺伝子工学を応用した新ワクチンとして開発が進められたもののあまりにも危険過ぎるという理由で開発中止に追い込まれたという経緯がある。それが今回の新型コロナにおいて何故か採用され緊急承認というかたちで瞬く間に実用化されてしまった。それが日本人の85%近くが接種したと云われるmRNAワクチンの実態です。それが現実に実用化されたとはいえ元々指摘されていた危険性が完全に克服されたというわけではありません。むしろ危険性はそのままに或いはすべて承知の上で実用化されたとしか考えられない事態がその後の経緯と結果によって明白になったと云ってもいいでしょう。 この一般的にワクチンと呼称(偽称と云ったほうが正確かもしれない)されている遺伝子製剤による被害の全体的総数は未だ明らかにされていない。被害者自身が原因がそれということに気づかない例があまりにも多く何よりも政府自体が被害の全体調査を全くしようとしないことにその原因がある。それはこのいわゆる「ワクチン」を様々な手を使って推奨してきた政府や医療関係者自称専門家たちの誰もがこの国民全体に及ぼした甚大な被害に対する責任を負うつもりもないこと。そしてその責任を国民から激しく追及されることを彼らが何よりも恐れているということの証左でもあろう。彼らは彼らが全面的に推奨してきたものによって多くの国民に被害をもたらしたことを知りながら今なお「重大な懸念はない」と云い続け今後も更なるワクチン行政を進めようとしている。政府による強制力をより強める法改正を着々と進めながら。 ブレーキの壊れた暴走車が通行人の中に突っ込んでもその事故による被害者はせいぜい3000人のうちの数十人に過ぎない。しかし全体から見た被害の割合が少数に過ぎないからといってその事件に「重大な懸念はない」と云いきれる者は普通の感覚であれば恐らく一人もいないだろう。この国の政府にはそういう普通の感覚すらないということになる。そして何よりも憂慮されるのが今後も被害を受ける可能性がある国民の側のほとんどがこの事件に対する「重大な懸念」を感じておらず決して少なくない数の被害者が現実に存在しているということに対する「普通の感覚」さえ失わされている状態にあるということ。その原因の一つは云うまでもなくテレビを中心とするマスメディアの報道統制とでも呼ぶべきその姿勢にある。 一般国民の最も身近にある情報源としてのテレビの影響力は依然として大きい。そのテレビが政府と足並みを揃えるようにワクチン行政を推進し現実に起きている被害の隠蔽に加担している。これではテレビを疑うことのない大多数の国民が未だ存在する限りこの事件の深刻な現実が全国民の共通認識になることなどはあり得ない。それが大多数の共通認識とならない限りこの事件の被害者は今後も更に増え続けていくことは恐らく間違いない。 もはや事件を横目で見ながら素通りすることは許されない。うすうす被害の状況に気づいていながら見てみぬふりをすることも許されない。 運よく難を逃れた者も明日は我が身と覚悟し被害者の身の上に起きた現実を自分事として考える。それが僕らのこれまでの「普通の感覚」だったはず。 今後はこれまでのようにマスメディアの恣意的な誘導に振り回される愚かさを止めて僕らが本来持っているはずの「普通の感覚」を今こそ取り戻すべき時期に来ている。 コロナ以降に起きた様々なおかしなことをすでにおかしいと感じられないほどに僕らの「普通の感覚」は狂わされている。 そろそろ思い出したほうがいい。 コロナ以前の僕らの「普通の感覚」を。
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