往々にし取々見かけを嗅ぎ分け、 待ちかねたる触りの良い目の前の、 甘味に溺れ痛い話には 耳も傾けない、 大人気ないその妄想、 すら大人気になる状況、 その動向、 この然々全部が気持ち悪い、 ったらありゃしないんですわ、笑 え、え、 君にとってはこれが「本当」で、 他は嘘ですか。 それで満たされるんなら、 そこに溺れてくのもいいけどさ。 だけれど、どこまでいっても それは君の、 吸い上げた記号でできた物語、 君の君による君のための詞書。 そういった構造を、 弁えられないのに、 いつの間にか、 周りの言葉が、 誰かの物語に置き換わって、 「事実」は死んでしまったんだ。 死んでしまったんだ。 死んでしまったんだ。 情報さえ余す所なく キャピタリズム、 の対象と化したこの現代は、 見えたものだけが全てじゃないが、 見えていないものには価値がない。 らしい構造、 から積み上がっていく口上、 その情動、 自分に責任すら持てないなら、 いい加減黙っとけや、笑 はぁ、 唯々、低いリテラシー、 そこに機械語が歩道を整理し、 繋がったその先は正義心や、 嫉妬心がのさばるチェンバー。 そのベンダーに狭められた、 創造性に気づかないまま、 考えたつもりに なっていた人たちが、 この国を壊していた。 嗚呼。 もしもコウモリの感情や、 どこでもないところからの眺めに、 本当にぼくらが触れられたのなら、 どんなによかったでしょうか。 事実と意見の境界線が、 曖昧になっていくその上で、 できた解像度の低い何かが、 エンターテインメントとして 消費されている。 クオリアの私秘性が、 情報の非対称性が、 その隙間を埋める想像と推測が、 わたしとあなたの間を ねじ込んでいく。 そういったものが、 日常の生活や、 公共の電波や、 色々なところに溶け込んで、 今日も邪魔をしている。 そういった構造を、 弁えられないのに、 いつの間にか、 平然な顔をして、 ただ流れるまま暮らしている、 「ぼくら」は死んでしまったんだ。 死んでしまったんだ。 死んでしまったんだ。